禅に十牛図というものがあります。
禅なので、悟りに至るプロセスを表現したものと言われています。
抹香くさくならないように、独自に各プロセスを表現した禅画にコメントいれています。
僕は禅なんて語ることはできませんが、こころに響いたので紹介します。
少しでも、こころに感じるものがあればうれしいです。
これは解説ではありません。
皆さんが何かを感じてもらえればそれで充分です。
読み方
禅画に登場する「牛」は、「悟り」を意味しているといわれています。
自分に引き付けて、「豊かな人生」とか「幸せ」とかをイメージして読んでもらえると嬉しいです。
「いま(=今)」とか「いき(=息)」とかそういう概念を意識して、軽く読んでもらえれば幸いです。
第1図.尋牛(牛を探す)
立派な牛がいるはずだけど、
ちっとも見つからない。
あっちもこっちも探しているけど
どこにいるのか。
聞こえてくるのはセミの声
こんなに探して歩いているのに。
第2図.見跡(牛の足あとを見つける)
いろいろ調べてみたけれど
牛はいない。
足跡たどっていけば会えるか
棒切れもって夢中になって
あっちを訪ねて、こっちを訪ねて
この足跡にただついていくだけ
第3図.見牛(牛を見つける)
し~。牛の声が聞こえる
なにか動いてるぞ。
やっと見つけた立派な牛だ
なんとか僕のものにならないものか
さんざん思案を重ねてみる。
うぐいすも僕を応援してくれる
あの牛、立派だなあ。
第4図.得牛(牛をつかまえる)
ついに捕まえた
ちょっと!引っ張るなよ
手綱は切れそうだし
目を離すとすぐにどこかにいっちまう。
用意してきた草ぐさも、
どうにもお気に召さないかしら
第5図.牧牛(牛を飼いならす)
だんだん牛も慣れてきた
手綱でもってこっちだよ。
お前はこの草好きだよな
さあ、一緒に食べに行こう
こっちこっち、こっちがいいよ
ちがう、ちがう、そっちじゃない。
第6図.騎牛帰家(牛に乗って家に帰る)
牛とはもはや仲良しだ
手綱もどこかにいってしまった
おい、牛よ
ひとつ、笛でもきかせてやろか
道中いろいろ寄り道しながら
ゆるゆる家に帰っていこう
第7図.忘牛存人(牛のことを忘れる)
牛はどこだ
まあ、その辺で草でも食ってるのかな
手綱も笛もまあ、いいか。
ぼぅっとひぐらし
それもよかろう。
第8図.人牛倶忘(自分のことも忘れる)
もくもく雲がながれてく
お日さまがでて、月がでて
また、あの雲がながれてく
第9図.返本還源(すべて元通りとなる)
家の裏山に花が咲く
松のみどりもあざやかで
花吹雪、風に流れる
第10図.入鄽垂手(町に出て生活する)
飯でもくいに行こうかな。
あの駅前のおでん屋と
囲碁のはなしで
ひがら一日
枯れ木を手折って
みちのお供に
まとめ
皆さんが感じ取ったものがすべてです。
その感覚を大切にこれからの人生を豊かにしていきましょう。
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